ぽっぺん日記@karashi.org
2007-05-05(Sat) [長年日記]
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奇跡の船「宗谷」(桜林 美佐)
「宗谷」が日本初の南極観測船であるということは、よく知られていることだと思うが、「宗谷」が元々、戦前にソ連から発注を受けて建造された砕氷船で、日ソ関係の悪化に伴ない、ソ連に引き渡されず、海軍に 買い取られ特務艦(実質、測量艦)として使用されていたという事実は、ほとんど知られていないのではないだろうか。そんな「宗谷」の知られざる歴史を綴っているのが本書だ。
本書を読んで、「宗谷」が竣工後、40年も使われていたという事実を知り驚いた。その経歴も下記のようなもので凄い。
- 海軍特務艦
- 戦後は引揚船(1万9千人の在外邦人を輸送)
- その後、有人の灯台への補給を任務とする灯台補給船
- 南極観測船
- 救難・教育を任務とする巡視船
特筆すべきは、「宗谷」の運の強さ。太平洋戦争では、潜水艦からの雷撃を受け触雷するが不発だったし、1944年2月17〜18日のトラック島空襲では、在泊の艦船が次々と撃沈される中、「宗谷」は 損害こそ受けるが、沈没はまのがれ、日本への帰還を果たしている。日本帰還後も「特攻輸送」と言われた室蘭・横須賀間の輸送任務や、横須賀への空襲も生き延びている。
40年という長きに渡って現役だったのも、この運の強さがあったからだろうと思わせられた。
また、軍事マニアとしても、個人的に知らないエピソードが多く非常に楽しめた。
たとえば、太平洋戦争中では、
- 測量任務だけでなく、輸送任務の他、乗組員によって陸戦隊が編成され、ブーゲンビル島攻略作戦に投入された
- ミッドウェー島占領後の測量任務のため、ミッドウェー作戦にも参加した
と言うことが語られており、興味深い。
機会があれば、現在「船の科学館」にて余生を送っている「宗谷」を見に行きたいと思わせる一冊だった。
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和解のために 教科書、慰安婦、靖国、独島(朴 裕河)
韓国の日本研究者が、日韓の間に横たわる
- 歴史教科書
- 従軍慰安婦
- 靖国神社
- 独島(日本名称:竹島)
という四つの歴史問題について和解の道を探っているのが本書だ。
日韓問題を扱った書籍と言うと、日韓問わず、激烈な意見が展開されるのが通例であるが、本書は 日韓両国のナショナリズムに与せず、極めて冷静な筆致で解決策を探っている。
著者は、上記四つの問題を通じて、日韓に渦巻く民族主義が実は紙一重の差でしかないことを 明らかにしていくのだが、日本人としては、自らが気付かなかった点を指摘され、はっとなったのも事実だ。
たとえば、日本国憲法がアメリカから強制されたものであるとして反発 している者が、竹島問題では、日本占領時にGHQが作成した文書を論拠の拠り所にしている点など、確かに皮肉としか 言い様がない。
個人的には、竹島問題については、国際裁判所の裁定を受けるべきだとの意見を持っていたが、著者はこう述べている。
どちらの領土と決められようと、もう一方がそれを受け入れることが決して容易ではない状況である以上、そのとき独島問題は、取り返しのつかない韓日関係の毀損にもつながるはずだ。(p.204)
確かにその通りだろうと思う。「たかが」などと書くと反発を覚える向きもあるとは思うが、あの島に日韓関係を崩壊させるほどの 価値があるとは思えない。双方にとっての妥協点を探る努力が必要になるだろう。
もちろん、全ての人が、本書の内容に全面的に同意が出来る訳ではないと思うし、その必要もないだろう。大事なのは、本書の内容を相手を指弾するための材料にすることなく、 著者の 「被害者の示すべき度量と、加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、はじめて和解は可能になるはずである」という言葉を胸に、 まず「見たいものばかり見ようとする」ことを止め、「反省的な拠って過去を振り返る」ための最初の一歩を踏み出すことだろうと思う。
本書は、将来に渡る日韓関係を築くための礎となり得る一冊だと思う。政治的主張の左右に関係なく、ぜひ一読をお薦めしたい。
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殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」(藤井 誠二)
犯罪被害者遺族の生の声を伝えた本書は、被害者救済とは何か、正義とは何かを激しく問いかけるとともに、自分が犯罪被害者側、つまり「殺された側」に立つ 可能性が常にあることを否が応でも考えさせられる一冊だ。
本書の第1〜5章では、犯罪被害者遺族となった下記の方々に取材し、その肉声を伝えている。
- 第1章『愛する妻と娘の仇は自分がとる』では、強姦目的の少年に妻子を殺害された本村洋氏
- 第2章『父の無念を晴らすため私は闘い続ける―通り魔殺人・被害者遺族 大鞭孝孔さんの独白』では、「自分の孤独感を世間に知って貰うこと」を目的とした通り魔に父親を殺害された大鞭考孔氏
- 第3章『息子のために阿修羅とならん』では、少年たち壮絶なリンチの末、息子を殺害された青木和代氏
- 第4章『警察に「殺された」息子よ』では、警察の不法行為(のみならず、その後、隠蔽工作を行なっている)により息子を事故死させられた松岡則子氏
- 第5章『殺された側に「時効」はない』では、突如行方不明となった姉を26年も探し続けたあげく、隠し切れなくなった加害者が時効後に出頭し、姉が殺害されていた事実を知った石川憲氏
続く、第6章『「生きて償う」という「きれいごと」』では、国会議員で構成する「死刑廃止を推進する議員連盟」への取材を通じて、犯罪被害者遺族と死刑廃止論者の認識の相違を浮き彫りにし、 第7章『犯罪被害者が求めている本当の支援』では、真の犯罪被害者救済を探っている。
本書を読み、怒りに震えつつ、この世には加害者の死をもってしか裁けない罪と言うものがあることを改めて認識した。 自分が本書に肉声を寄せた遺族のように、残虐な方法で家族を奪われた時のことを考えると、なおさらそう思う。
もし自分がそのような立場に立てば、本書の遺族の多くと同じように、仇を討つことを考えるはずだ。たとえ、野蛮と罵られようと、それが犯罪であったとしても、自分自身にとっては、 それが正義だと信じるからである。しかし、その時点で、自分に守るべきものが存在した場合、自分にとっての真意ではないにしても、加害者を裁くことを国に委ねざるを得ないであろうと思う。その時に望むことは、 ただ一つ。自分が「正義は為された」と感じることができるような罰が与えられることである。つまりは死刑だ。
本書でも死刑廃止を唱える人々が登場する。もちろん、そのような考えを持つことは自由だ。しかし、死刑廃止を唱える人たちは、少しでも犯罪被害者遺族の立場に立つことを、もっと具体的に書けば、 前述したように自分の愛するものが残虐極まりない方法により殺害されることを想像してみたことがある人々がどれだけいるのだろうか。もし、そこまで想像の幅を広げた上で、死刑を廃止すべきだという意見で あるならば、個人的には首尾一貫した意見であることは認める(もちろん、同意はできないが)。
しかし、実際のところはどうだろう。もし、本当に想像したことがあるならな、第1章に登場する死刑廃止シンポジウムの司会者のように、遺族に対して「死刑の問題をどう考えるかは、 その人の人生観が出ますねえ」などという、相手の心情を欠片も考えたことのないような、軽薄極まりない発言などできるものではないだろうし、加害者の弁護人である安田・足立両弁護士の 犯行について主張*1もできる訳ではないだろう。 また、第6章の「死刑廃止を推進する議員連盟」のように「死刑は残虐だから」や「死刑廃止は世界の潮流だから」などと、自分の全人格を賭しているとは全く思えない理由から 死刑廃止を訴えることもできないのではないか。
「加害者を殺したところで、被害者が返ってくるわけではない」。そのように死刑廃止論者は主張する。もちろん、その通りだろう。しかし、残された遺族は、どう自分たちの傷と向き合えばいいのか。 加害者も被害者遺族も、どちらも生者である。そして、人道を外れ、社会のルールを破ったのが加害者である以上、加害者側と被害者側、どちらを優先するかは自明の理ではないかと思うのだが、いかがだろうか。
国も司法も、そして私たち国民も、本書の中で主張される遺族の声を真摯に受け止める必要があるだろう。それが最終的には犯罪抑止にも繋ると信じている。
2009年5月には、殺人などの重大犯罪の裁判に国民が参加する裁判員制度が開始される。自分が裁く立場に立った時の考えを広げる一助としても、本書をお薦めしたい。
- 藤井 誠二
- 講談社
- 1680円
livedoor BOOKS
書評/ルポルタージュ

*1 本書では取り上げられていないが、安田弁護士が記者会見でどのような主張をしたかを覚えている人もいると思う。少なくとも私は激しい怒りを覚えた。
_ 仕事をすると言いつつ、全然仕事をせんかった
まぁ、明日があるからいいか(ぉ



まで頂ければ幸いです。
観音浄土に船出した人びと―熊野と補陀落渡海 (歴史文化ライブラリー 250)(根井 浄)
TBさせていただきました。<br><br>犯罪被害者がいかに過酷な状況におかれているかに、愕然としました。