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ぽっぺん日記@karashi.org


2007-06-07(Thu) [長年日記]

曇り

_ 夜愁 上 (1) (創元推理文庫 M ウ 14-4)(サラ・ウォーターズ) 夜愁 上 (1) (創元推理文庫 M ウ 14-4)(サラ・ウォーターズ)夜愁 (下)(サラ・ウォーターズ/中村 有希) 夜愁 (下)(サラ・ウォーターズ/中村 有希)

かつて「このミステリーがすごい!」において、二年連続で海外部門一位に輝いたサラ・ウォーターズの最新作が本書『夜愁』である。

本書は、第二次世界大戦の戦中・戦後を通じて生きる人々の人間模様を綴った小説である。ミステリー小説ではあるが、 作中では殺人事件といった劇的な事象は起こらない。あくまでも登場人物たちの人生が描かれるのみなのだが、彼らが 心の闇に隠している真相や人物関係の謎が、過去が語られることにより徐々に明らかにされるという構成を見れば、 ミステリー小説であるということは納得できるものと思う。

物語は、戦争の傷跡が残る1947年のロンドンより始まり、1944年、1941年と時間を遡りつつ展開していく。 1947年の現在において登場人物たちは、日々を生きながらも、皆それぞれ、人生に閉塞感を覚えている。 たとえば、ケイは怪しげな医者の家の屋根裏部屋に住み、金や時間に不自由しない身でありながら、孤独で無為な毎日を過ごしている。 レズビアンのカップル、ヘレンとジュリアは互いの心がすれ違い始めていることを感じ始めている。 ヴィヴは、妻子ある男性との報われない不倫に悩み、ヴィヴの弟で、元服役囚であるダンカンは、「叔父」と奇妙な共同生活を送り、 自分が投獄される原因となった事件よって受けた心の深い傷に苦しめられている。

時代を遡ることにより、彼らがどのように出会い、どのような過去を抱えているかが、明らかになっていくのだが、 ここで注目すべきは、ストーリーが1941年で終わり、1947年に戻らないということである。解説において、若島正氏は下記のように 述べている。

通常の推理小説では、過去が解明されると、物語は現在に戻り、犯罪によって失われていた小説世界の秩序が一定の回復を見る。(p.331)

ところが、本書では、小説内の現在である1947年に視点が戻ることはない。つまり、閉塞感に包まれた1947年には何の救いももたらされないのだ。

上記の時代を遡るというストーリーが本書の大きな特徴の一つだとすると、もう一つの大きな特徴が、登場人物が隠す「規範からの逸脱」である。

特に同性愛については顕著である。たとえば、女性の登場人物のほとんどは同性愛者であるし、数少ない男性の登場人物も何人かは 同性愛的傾向を持っているように見える。若島正氏は本書に登場する同性愛について下記のように述べている。

国民が一丸となって戦争勝利という目的に邁進することを要求される時代においては、規範から逸脱することが非国民扱いされる原因になりえたのである。(p.330)

付け加えるならば、作中では直接言及されてはいないが、同性愛は当時のイギリスでは、懲役刑が下される可能性があるほどの重罪とされていた事実である。

たとえば、現代計算機科学の父と言われる アラン・チューリング は、戦争に勝利することに多大な貢献をしたにも関わらず、戦後、同性愛者だということが発覚すると、 収監はまのがれたものの、保護観察処分となり、女性ホルモンを投与されるという矯正処理を受け、遂には自殺することなった。

同性愛が犯罪であったという事実を認識すれば、作中で描写される、自殺、堕胎、良心的兵役拒否という、同様に犯罪とされていた行為が すべてリンクしていく。著者は、本作を通じて、戦時体制のイギリスがいかに個人の権利を抑圧していたのかを浮き彫りにしようと考えたのではないのではないかと思う。

出口の見えない現在と個人の権利を抑圧していた戦時体制下のイギリスを描くことにより、著者が語りたかったことは何なのか。 それはラストの情景に集約されているものと思う。元々、人生は出口など見えない暗いものなのだ。そんな人生だからこそ、また美しいものの輝きを見ることができる。 そのようなことを語りたかったのではないかと考えている。

本書は決して優しい小説ではない。何事かを雄弁に語り掛けてくる訳でもなく、心から楽しめたという読後感を提供する訳でもない。だが、読者は、本書を読むことにより、 本書からしか得るのことのできない感動を覚えるはずである。そのような感動を味わえるということこそ、読書の楽しみの一つであると思う。

心底、読書が好きな人にこそお薦めしたい作品である。


夜愁

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書評/ミステリ・サスペンス

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本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ さすらいの読書人 (2007-06-08(Fri) 12:49)

ていねいに小説をお読みになる方だと、書評を読み、感心しました。貿易センター事件を受けて2001年から英国も戦時体制に入る。そういう時代にマイノリティのウォータースーさんが敏感に反応したのが『夜愁』だという見方は出来ないでしょうか。<br>もっともこの人の持ち味は強烈な描写力。個人的には1947年末尾、スピリチュアリストのレオナード氏が祈りの念を送り続ける所、気に入っています。

_ poppen (2007-06-08(Fri) 14:32)

> さすらいの読書人様<br>コメントありがとうございます。<br>911後の戦時体制については、まったく頭になく、目から鱗から落ちるご指摘です。なるほど、そのような見方がしっくりくるように、私も思います。さすらいの読書人様の洞察力の高さに感服しました。<br>好きなシーンですと、個人的には、ケイがヴィヴに指輪を渡す場面が、救いのない堕胎シーンのあとだけに印象的でした。

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