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2007-06-20(Wed) [長年日記]
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北方領土交渉秘録―失われた五度の機会(東郷 和彦)
長年に渡り日露外交に関わった後、鈴木宗男事件の余波を受けて、外務省を去ることになった著者が 現在も継続中の北方領土返還交渉について著したものが本書『北方領土交渉秘録』である。
まず、はじめにお断りしておかなければならないのは、私が本書で扱われる、北方領土交渉について、ほとんど知識がないということである。 そのため見当違いのことを書いていると思われるが、その点は、どうかご容赦をお願いしたい。
本書を開き、まず驚かされるのが、その文章力の高さだ。
鈴木宗男と連座し、逮捕、起訴された外務省・元情報分析官、佐藤優の裁判で弁護側証人として証言台に立つことになったプロローグをはじめ、 著者が外務省を免官となり、海外で「亡命」生活を送ることになった経緯についての第1章、外務省に入省した著者がどのようにソ連・ロシア と関わるようになったかについて語った第2章は、プロの文章家顔負けの面白さだ。
著者が太平洋戦争開戦時の東条内閣および終戦時の鈴木貫太郎内閣で外務大臣を勤めた東郷茂徳の孫であることは周知の事実だと思うが、 外務省でロシアに関わることになってすぐ、母親、いせ(つまり、茂徳の娘)に終戦時のソ連について印象を聞いた時のエピソードが興味深い。 母親は「こんちくしょうだったよ」と洩らすのだ。著者は日露外交に対して、両国の信頼関係を築くべく多大なエネルギーを注ぎながらも、 片時もこの「こんちくしょうだったよ」という言葉を忘れることがなかった。
また、鈴木宗男事件の発端となった田中眞紀子の外相時代のエピソードも興味深い。田中外相は就任時の記者会見において、 それまでの日露外交の経緯を無視して1973年の田中角栄・訪ソの際の「田中・ブレジネフ共同声明」に日ソ関係を回帰すると 述べたのだ。田中眞紀子にとって、どれだけ父である田中角栄の存在が大きいものであるかを証明したエピソードではないだろうか。 ちなみに、著者は、この田中外相の回帰発言について意見を述べたため、彼女の不興を買うこととなり、欧州局長を罷免されることとなる(著者は 「田中大臣から欧州局長を解任する辞令を頂戴した」と柔らかく書いているが、実態はそうだ)。
続く、第3章から第14章までは、本書の本題と言うべき、ゴルバチョフ書記長就任以後の北方領土返還交渉が語られるのだが、 ここで著者の視点が一歩引いた俯瞰的なものとなる。もちろん、歴史を語るに当たって、俯瞰的な視線は必要とされるものだが、 本書の場合、著者が筆を抑えているような印象を受けるのだ。その証拠に、外務省を免官された後の、いわば「自由な立場」になった後の 第14章の文章の歯切れの良さは、プロローグから第2章までと同じものである。
著者が筆を抑えている理由は、本書のまえがきに見ることができる。著者はこう述べている。
当然のことながら、本記述を行うにあたって、進行中の平和条約交渉における日本の立場を害してはならないという観点から、また、交渉の相手となったロシア人の立場を傷つけてはならないという観点から、さらに、元公務員としての守秘義務という観点から、私の承知することのすべてを書くことはできなかった。(p.2)
日露の将来を今でも考えている著者の良識の高さが垣間見られるが、やはり一読者としては少々物足りないものが残る。 特に、鈴木宗男がどのような存在であったを示すエピソードや、プーチン大統領がサンクトペテルブルグ副市長を勤めていた際に、どのような経緯で訪日する ようになったを語ったエピソードなど、興味深いものが散見されるだけに、なおさら、その思いが強くなる。
そのような物足りなさを補完するのが、巻末に付けられた佐藤優の解説である。佐藤氏は、北方領土交渉をコンパクトにまとめつつ、著者の書かなかった点を 大胆に予測していく。私のように、北方領土交渉についてあまり詳しくない読者は、
- 第1章
- 第2章
- 第14章
- エピローグ
- 解説
の順番で読んでから、第3章〜第13章を読み進めた方が、本書の内容をより良く理解できるのではないかと思う。
冒頭で、北方領土交渉に関する知識がないと書いたが、これまで北方領土について返還は無理ではないかと考えていたため、 それについて知ろうとする意欲が沸かなかったせいである。もちろん、北方領土がロシアによって不当に占拠された 日本の国土であるということは充分理解はしているが、結局、ロシアとの交渉がいつまで経っても上手くいかない以上、 どうにでもならないのではないかと考えていたのだ。
しかし、本書を読んで自分の考えをいくらか改める必要を感じた。エピローグで著者は北方領土問題の根幹について、安全保障や外交、漁業権に見ることは「本質をついていない」としつつ、こう著す。
北方領土問題は、日本が太平洋戦争をいかにして戦い、いかにして敗戦をむかえたかという歴史に直結する、民族の心の痛みの問題である。(p.384)
「心の痛み」という抽象的な言葉には全面的には同意できないにしても、著者の熱い思いを感じ、北方領土を忘れさるという行為は、過去の戦争という現実に蓋をする行為なのかも知れないと思わされる。
また、同じくエピローグにある、著者の母親、いせの晩年の言葉も引用しておきたい。いせは著者に、著者の祖父である茂徳が仕事で一番大切だとした言葉を語る。
「交渉で一番大切なところに来た時、相手に『51』を譲りこちらは『49』で満足する気持ちを持つこと」(p.390)
外交に限らず、ビジネスであろうと、私的なものであろうと、すべての交渉に通ずる言葉だと思う。
北方領土問題についての基礎知識を身に付けてから再読したい一冊である。
- 東郷 和彦
- 新潮社
- 1890円
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