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2008-01-13(Sun) [長年日記]
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裁かれた罪裁けなかった「こころ」―17歳の自閉症裁判(佐藤 幹夫)
2005年2月、大阪府寝屋川市の小学校に17歳の少年が侵入した。 少年は持っていた包丁で教師一人を殺害し、二人の教職員に重傷を負わせた後、その場で取り押さえられ逮捕される。 少年は当初、小学校に恨みを持って犯行に及んだとされていたが、2度の精神鑑定の結果、自閉症圏の障害である広汎性発達障害を持ち、対人関係や社会性に障害があると診断された。
2001年に浅草で起きた女子短大生刺殺事件(レッサーパンダ事件)の真実に迫ったルポルタージュ、『自閉症裁判』を上梓した著者が、公判の傍聴と弁護士への取材を通じて、事件の実相に迫っているのが本書。
広汎性発達障害とはなにか。乱暴を承知で、本書の中で紹介に解説されている記述を纏めれば、
「知能の遅れこそないが、言葉を字義通りにしか受け取れず、自分を状況に応じて対象化することができない。つまり、相手側の立場に立てない障害」
ということができるだろう。
加害者である少年は、逮捕後の取調べや公判を通じても、自身が犯した犯行について真摯に反省している態度を見せることはない。しかし、それは「反省しない」のではなく、「反省できない」ができないという事実を、著者は浮き彫りにしていく。
そのような状況で、少年をどう裁くべきなのか。 弁護側は、少年が長期間のケアなくしては事件を見つめ直して贖罪するという意識が持てないことを理由に、少年院での更生を目指すべきだと訴える。 一方、検察側は、少年の広汎性発達障害は認めるものの、加害者の知能および事件の重大性と被害者感情を考え、少年刑務所での処遇を主張する。
著者は、どちらかと言えば、加害者側の立場で本書を著しているが、できる限り公正な視線で事件を見つめようとする。 そのひとつが第6章に記された遺族や被害者たちの峻烈な声だ。 突然、愛するものを奪われた家族の慟哭や、後遺症に悩む被害者たちの姿は胸を強く締めつけてくる。
少年犯罪への厳罰化が叫ばれているのが最近の世論の動向だ。 しかし、加害者が本件のような障害を持っていた場合は、健常者の視点で裁けばそれでよしとするのか。 また、障害者を持った加害者に司法が配慮するのであれば、被害者側の気持ちはどう汲むべくなのか。 本書は、様々な形で読み手の心を揺さぶってくる。
裁判員制度が開始されれば、我々が裁く立場になる可能性がある。 改めて「裁く」とは何かを考えさせる本書を読むことは、自分が裁く立場にたった時のためにも有益だろう。 前掲の『自閉症裁判』や、 『累犯障害者』、 『殺された側の論理』 とともにオススメしたい。
本書の最後は、検察および被告が上告をしたところで終わっているが、二審、少年に一審より重い懲役15年の実刑判決が言い渡され、検察、被告ともに上告せず結審したことを付記しておく。


まで頂ければ幸いです。
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