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2008-05-29(Thu) [長年日記]
_ 触法障碍者の「塀の外」での姿──累犯障害者(山本 譲司)
本が好き!経由で献本されたものをシルフレイ様から回して頂きました。 御礼申し上げます。
著者は秘書給与詐取の罪により服役した経験を持つ元衆議院議員。 刑務所内で知った障碍を持つ囚人たちの実態を知った著者は刑期を終えた後、それを1冊の本にまとめ『獄窓記』とした上梓した。
『獄窓記』の後、社会復帰した著者が障碍者が起こした事件の数々を取材したルポルタージュが本書である。 『獄窓記』を罪に手を染めた障碍者たちの「塀の中」での姿を描いた書とするならば、本書は彼らの「塀の外」での姿を描いた書と言えるだろう。
本書の目次は下記の通り。
- 序章 安住の地は刑務所だった―下関駅放火事件
- 第1章 レッサーパンダ帽の男―浅草・女子短大生刺殺事件
- 第2章 障害者を食い物にする人々―宇都宮・誤認逮捕事件
- 第3章 生きがいはセックス―売春する知的障害女性たち
- 第4章 閉鎖社会の犯罪―浜松・ろうあ者不倫殺人事件
- 第5章 ろうあ者暴力団―「仲間」を狙いうちする障害者たち
- 終章 行き着く先はどこに―福祉・刑務所・裁判所の問題点
これらから浮かび上がってくるものは、 刑務所の外に居場所がなく「塀の中」に戻るためだけに罪を重ねる累犯者の姿であり、 福祉の網からこぼれ落ち犯罪の道へと転がる姿であり、 健常者の犯罪者に搾取される姿であり、 閉鎖社会の中で生きて加害者、被害者ともなる姿である。
初めて知ることばかりで、どの章を読んでもショックを受けたが、その中でも最も大きな衝撃を受けたものが、ろう者が形成する独自社会とそこで起きた犯罪に焦点を当てた「第4章 閉鎖社会の犯罪」と「第5章 ろうあ者暴力団」の2章である。
なぜ、この2章から大きな衝撃を受けたかを記しておかないといけないだろう。 本当に恥ずかしい話だが、実は、私自身がホンの少しであっても、ろう者の世界について知っていると思い上がっていたせいなのだ。
実は2年ほど前、NHKの教育番組でしばらく手話を練習したことがある。 正直に言えば、「練習をした」というのも大袈裟すぎるなくらいで、妻が結構、熱心に勉強していたので(今はもう止めてしまったが)それに付き合って一緒に番組を見ていただけだ。 番組内で手話を中心にした様々な活動を紹介するコーナーもあって、手話を勉強するについては全く身に入らなかったが、そのコーナーは非常に興味深くて、それなりに熱心に見ていた。
そんな経緯もあって、自分では少しはろう者の世界を知っていると思い込んでいたのだ。 しかし、この2章を読んで、そんな勘違いは粉々に打ち砕かれた。
たとえば手話だが、日本手話と日本語対応手話があることは知識としては知っていたが、その言語としての隔りが、日本語と外国語ほどもあるとは、本書を読むまで知らなかった。 日本手話では手の動きの他、体や頭の向き、あごの引き方、唇の形、視線の方向、眉の上げ下げ、まぶたの開閉といった動作も文法上、重要な要素になる。 手とこれらの動きが組み合わさり、はじめて意味をなす言葉となるということだ。 さらに動作の大きさや早さの違いといった要素により、その言葉の変化の意味が変化するのだという。 生まれつき手話に接してこなかった聴者がこれらの動きのすべて解釈することは不可能ということになる。 なんと聴者の手話通訳者であってさえも、その手話がろう者には理解できないことがあるというのだ。
本書に書かれている、あるろう者がNHK「手話ニュース」について述べた言葉が印象的だ。
聴者がキャスターの時は『手話ニュース』は絶対に見ない。なぜなら、私たちろう者には、何を言っているのかほとんど理解できないからです。(p.188)
あのNHKですら、こうなのである。
著者は手話通訳者を介してでさえ、健常者とろう者間のコミュニケーションに齟齬をきたす可能性について示唆しているが、それは手話通訳者の能力上の問題ばかりではない。 ろう者の精神世界や文化が聴者のそれと異なっているからではないかと、ろう者であり、「手話ニュース」のキャスターも勤める木村晴美氏の言葉を引きつつ、著者は指摘する。 そのような状況で、ろう者が罪を犯した場合、警察が適正な取調べを行ない、きちんとした裁判を受けることができているのかどうか、著者でなくても疑問に思うのは当然であろう。
ろう者の仲間意識についても、それは「仲間意識」などというレベルを超えていて、デフ(ろう者)・コミュニティと呼ばれるくらいに強固な人間関係を築いているということも明らかにされる。 コミュニティの独特の文化を著者は次のように記している。
聴者社会では、話をする時、相手を傷つけないようにとか、失礼にあたらないようにとか、種々考えながら、遠回しに表現することが好まれるが、デフ・コミュニティにおいては、それは逆に失礼にあたる。デフ・コミュニティには、敬語も敬称もない。そこには上下関係や男女関係などへのこだわりがない社会だという。(p.186)
結婚についてもコミュニティ内のメンバー同士で行なわれることが普通であるそうだ。
根本的な問題として、手話を否定し、ろう者自身は何を言っているのか聴こえないにも関わらず、聴者にとって正しい発音に聴こえる声を出す口話教育のみを是とするろう学校の問題が挙げられている。 ろう者独自の文化に理解を示さず、聴者社会にムリヤリにろう者を同化させようとする力こそ、さらに閉鎖的なコミュニティを形成させる要因となるのである。
驚かされるのが、ろう者と携帯メールの関係だ。 聴者にとっては、携帯メールというのは、便利なものではあるが「生活を一変させる」というほどのものではないように思う。 しかし、ろう者にとっては、今までFAXでしか遣り取りできなかった遠隔地同士のコミュニケーションが格段に便利になった。 屋外での待ち合わせも可能となり、行動範囲や交際範囲を広げたという。 考えてみれば、確かにその通りだ。 「第4章 閉鎖社会の犯罪」で取り上げられる不倫殺人事件も携帯メールがなければ成立しなかったという意味で、現代の事件と言えるだろう。
本書の最後では、障碍者を累犯者にしないための提言が語られている。 詳しい内容は本書に譲るが、加害者となった障碍者ばかりを扱う著者に対する批判を受けての言葉、
我が国の福祉の現状を知るためには、被害者になった障害者を見るよりも、受刑者に成り果ててしまった彼らに視点をあてたほうが、よりその実態に近づくことができるからである。そしてそこには、日本社会の陰の部分が見えてくるのだ。(p.234)
は重く受け止めるべきだろう。
あとがきで『獄窓記』を読んだある弁護士から次のように言われたとのエピソードが紹介されている。
「山本さん、よくぞ服役してくれました。心から感謝します。『獄窓記』のおかげで、これまで全く伝えられることがなかった、刑務所内での障害者の処遇を知ることができました」(p.237)
全く同感である。 著者が獄に入らなければ、『獄窓記』や本書が世に出ることがなく、罪に犯した障碍者たちの真の姿を知ることも出来なかった。 著者はどのように考えるか分からないが、これこそ運命というものだったのではないか。 そんなことを考えた。
裁判員制度の開始まで1年を切った。 我々が本書で語られたような障碍を持つ犯罪者を裁かなければならない可能性もあるだろう。 著者が言うように、罪は罪として裁かれるべきだろうし、そうしなければならない。 しかし、またそこに「更生」という要素が欠落し、刑務所を安住の地とする累犯者を生み出すことがあってもいけないのだ。 どうすればいいのか。
著者同様、深く考えざるを得ない。
お断わり
本書の中では「障害者」、「ろうあ者」という言葉が使われていますが、このエントリーの中の私自身が書いた箇所ではそれぞれ「障碍者」、「ろう者」としています。
- 山本譲司
- 新潮社
- 1470円
書評/ルポルタージュ




まで頂ければ幸いです。
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