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2008-08-01(Fri) [長年日記]
_ きき手についてなにからなにまで分かる一冊──左対右きき手大研究 (DOJIN選書 18) (DOJIN選書 18)(八田 武志)
きき手研究の第一人者である著者が、きき手に関する様々な最新研究をまとめたものが本書。
本書について、著者は
本書のどこかの部分が、家族や仕事仲間での団欒時のネタとなれば、私の狙いの大方を叶えられたことになる。(p.3)
と謙遜しているが、なかなかどうして、興味深い話題がてんこ盛りの本だった。 きき手についてなにからなにまで分かる一冊といいたい。
- 八田 武志
- 化学同人
- 1785円
書評/サイエンス
本書を読んで驚かされるのが、一口に「きき手」といっても、それは様々な角度の研究があることだ。
たとえば、第1章では左ききが右ききよりも優れていることを証明する研究が紹介されている。 一塁に近いという理由から左バッターが右バッターに比べて有利なのは知られていることであるが、左ききの子どもの方が学力や知能指数で優れているという研究もあるそうである。
また第2章ではよくいわれる「左ききは短命」という説を検証している。 この説が唱えられる背景には、世の中のほとんどのものが右ききを前提に作られているため、左ききだと常にストレスを抱えるとともに、危険な作業ではミスをしやすくするという認識があるのだが、著者は様々な統計を用いてその真偽を確かめている。 その過程は本書に譲るが、「左きき短命」説は俗説と判断してもいいのだろう。
個人的に印象に残ったのは第8章で論じられる、きき手の矯正についてである。 私自身は右ききであるが*1私の弟が左ききで、親に直された結果、現在は右手で字を書いているためだ。 本書にも書かれている通り、最近は左ききには社会全体が寛容になってきて、特に矯正されることも少ないのではないかと思われるが、私が子供時代の頃は、まだ「ぎっちょ」などと呼ばれ、あまり良いことではないと思われていたのだ。
また、著者が次のように書いている親心もあったのだろう。
学校に入って授業の際に文字を書くとき子どもが困るのではないか、ハサミなどさまざまな道具を使うわが子が不自由するのではないか(p.185-186)
本書では左ききを右ききに矯正することが良いことかどうかが論じられているが、著者は矯正にはあまり賛成しないというスタンスを取っている。 適切であるかどうか疑問があるとはされているが、きき手を矯正することによって人生の満足度や健康に影響があるという実験結果もあるそうである。
まぁ、そんな実験を云々しなくても、著者が
左ききとなるはずの遺伝子をもつ場合、左手が動作の速度や巧緻性、持久性などで右手よりも優れるべく脳はプログラムされているわけであり、右ききへの変更は一流の仕事ができる潜在能力をもつ左手をあえて使用せずに、わざわざ潜在能力で劣る右手の使用を強いることになる。(p.103)
と指摘している通り、弊害があってもおかしくないというのが自然な考えだろう。 そう考えると、弟には少々酷だったなと思わなくもない(そうしてしまった親心は充分に理解できるので責める訳にはいかないが)。
その他、本書では、きき手はどのようにして決まるのか、きき手と脳の関係など非常に広範囲の研究が紹介されている。 左ききとなるメカニズムについては、胎児期や出産時に脳に損傷を負ったためや細菌性髄膜炎に感染したためなどという、読みようによっては左ききの人には失礼な説や、男性ホルモンの影響、母体の中で胎児の姿勢による聴覚系の影響、神経細胞の数など数々の説が唱えられている。 どれが正しいのかといえば、まだなんともいえないというのが実際のようだ。 どこか差別につながりそうで、少々怖い面もなくはないのだが、純粋に知識として面白い内容である。
このように世界中の様々なきき手研究について述べられている本書であるが、著者がもっともらしく見える統計の嘘について繰り返し触れている点も興味深い。 どうしても、グラフなどの図表を見せられると信憑性があるように感じられるが、そのデータの母集団や集めた過程などに注意を払わなければ、それが本当に意味のある統計であるかどうかを判断することはできないという考えは肝に銘じるべきだろう。
本書の終章は、ニホンザル、チンパンジーやゴリラなどの類人猿、ネコ、イヌ、カエル、さらには魚やヘビなどのきき手についての研究が書かれている。 内容は非常に面白いのであるが、「ヒマな人もいるもんだなー」と思ってしまったのも正直なところ。 なにしろ、カエルの頭に風船を乗せてどちらの手ではねのけるのか観察したり、ヘビの前進の仕方やトグロの巻き方を半年以上に渡って、1813回も観察しているのである。
しかし、著者は次のように書いている。
昨今の日本の大学に見られる、特許などの経済効果に直接的に繋がらない研究の軽視を体感する者として、文化的でこころ豊かな知識の学府を構成する研究者も内包できる環境を保ち続けることの重要性を、ルースが行ったヘビのこの研究を読んで痛感した次第である。(p.227)
なるほど。直接利益に結びつかない、きき手の研究のようなものができる国こそ真の余裕ある国といえるのかもしれない。
現代日本の現在の実利一辺倒の教育へのアンチテーゼとも読める好著である。
*1 ちなみに、本書によれば自己申告のきき手はあまり信用できないようである。右手で字を書いても左ききの人も多いとのことだ。



まで頂ければ幸いです。
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